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● す い か 舟 |
すいかはいらんか、うまいすいかだ。舟ごと買わんか、儲かるすいかだ。
夏の一日が静かに暮れて夜のとばりが下りる頃、すいか舟が次々とやって来た。すいか舟が来たようだ、出てみようか、人々は夕涼みがてら浜へ出て行く。毎年お盆前後になると、蒲原の浜からすいかを満載した舟が出雲崎へ商いにやって来る。
買うぞ、一舟いくらにするんだ?。群集の中から声が掛かった。いくら、いくらだ、と舟から取引の声があると、すいか舟は、浜に舟を付ける。甘いかどうか切って味見させてくれなどと言う者もある。
すいか舟ですか、来ましたとも。毎年、お盆前後になると来ました。一舟買って大勢で分ける者、店頭に並べて売るもの、賑やかでしたよすいか舟は見られなくなりましたね。あの頃はよかった。自分の家で買ったすいかを抱えて歩く子供達の顔は、鬼の首でも取ったように嬉しそうでしたよ。 |
● 磯 ま わ り |
海が荒れると、磯まわりの話題になる。峨眉山下の橋杭が椎谷の浜に流れ寄ったこと。久田の浜に鯨が流れ寄ったことの昔語りから、近年では韓国の漁船が三十日も冬の日本海を漂流して郷谷の浜に寄った話。
荒れる海は、椰子の実を運んできて浜に打ち上げていったり、太平洋からビンの中に手紙の入った物が流れてきたり、磯まわりをして、大きなタイルイカを拾って食べたとか、売ったとか、またコグリやスズキを拾って食べて美味しかったなど、人それぞれの話に花が咲く。
ある老人の話。最近では寄木(よりき)など拾う者が無くなったが、海からの漂流物の発見者は寄木拾いの老人とか磯まわりの若い衆の手柄でした。凄まじい荒波は色々なものを運んできては、人々を驚かせ、また珍しい物を見せてくれた。漂流船、死人を乗せた船、大海亀、怪魚、その他色々あります。
◎「峨眉山下の橋杭」は北越雪譜によれば、文政8年、酉年10月とのこと。
◎久田の浜に鯨が流れ寄ったのは、元禄4年の秋。 |
● 浜 カ ヤ 刈 り |
雪消えの土手の黒い土の中から「ふきのとう」が顔を見せ始めた。海の色も明るい春の色に変わってきた。久田(くった)のカヤ山では、浜カヤ刈りが始まった。
久田は戸数三十戸ばかりの農家部落で、カヤ刈りは、春の農作業に先駆けて行われるものである。「今時、カヤなど」不審に思う人もあるようだが、屋根の修理やその他で必要なのである。だから注文も多いとの事だ。
3月に入ってからの降雪で今年は仕事が遅れがちなので、みんな気を揉みながら、束ねたカヤを急な山の斜面に転がし落としている。カヤ刈りは、春を告げる農家の仕事の一つである。
寒い寒いと言っても雪割草が可憐な花をつけて早春の香りを漂わせてくれる。小木の城はまだ真っ白だが、野鳥のさえずりも日毎に賑わいを見せる。磯では、香り高い「あおさ」摘みが始まり、浜も次第に活気を見せてくれるのである。 |
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