海の話
● 私 は 見 た !
 お盆の前の夜のことです。
眠れぬまま、家を出て私は浜へおりました。真っ黒な海は静まり返って不気味なほど凪いでいました。浜に並んだ小舟の縁に腰をおろして、その静寂に浸っているうちに、うとうとと寝入ってしまいました。

 静かなときが流れたと思いますが、海の方向で人声がするので眼を覚ますと、磯辺に大きな船が着いているのです。船には多くの人が乗っている様子でした。

 私は小舟の中に身をひそめて、その大きな船からどんな人達が現れるだろうかと、目を凝らして見つめていました。真っ暗なので顔や姿をよく見極めることが出来ませんが、船から降りた人たちは町の方向に行ったのです。
 お盆の前の夜には、海で死んだ人達の霊が浮かび上がって家に帰って来ると、ある老人から聞いたことを思い出しました。この船のことを云うのではないだろうか、ふとそう思いました。

 各家では精霊をお迎えする準備が出来ている。一年に一度、あの世から現世へかえる人々はどんなにか、嬉しかろう。この世は夢か幻か、浄土の国から、遥々船を仕立てて、かっての我が家にひと時を寛ぎ、また弥陀のもとに帰っていく精霊。私はその霊が乗ってきた、幻の船を見たのです。

 夢から覚めたようにひっそりと静まり返る深夜の砂浜には、ひたひたと磯をかきなでる波の音だけが耳に残っていました。磯辺には船の姿はもう見られませんでした。海の彼方から遥々とやって来た船。間もなく東の空が白み、夜が明けるだろう。私は海に向かって両手を合わせ、いつまでも冥福を祈りました。私だけが見た、幻の船、今も心の底に残っています。      (古老の話より)
● 怨 霊
 出雲崎が出船入船で繁昌していた頃のことである。
関東屋の息子、弥忠次は諸国に向けて米を積んで運び、其の帰りに港・湊からの物資を積み帰るという大活躍だった。
 初秋のことだった。函館からの帰り、秋田沖で台風に襲われ、避難港目指して船足を速めていたが高波は狂ったように船腹を襲い、甲板を洗いはじめていた。
 その行く手に二隻の漁船が木の葉のように波に揉まれながら、助けを求めているのが見えた。弥忠次は、乗組員に大声で「助けてやれ!」と怒鳴った。ところが船頭の与八が反対した。
 「そんなことをしていると、どっちも遭難だ。」と言いながら船首を港方向に向けた。二隻の漁船には六人が手を合わせて助けを求め、叫んでいる。その中には少年の姿もあった。苦しい家計を守る為に子供も海へ出て働いている頃である。
 弥忠次の船は、漁船から離れてしまった。与八の非情なのに怒った弥忠次は、与八に殴りかかった。殴られながらも与八は「こっちの命も危ないのだ!」と言いながら、やっとのことで避難港に逃れることが出来た。

 出雲崎港に帰ってきた弥忠次は、父に全てを話し、船頭の与八に暇をやって、辞めてもらい荒波の中に消えたであろう六人の霊を、懇ろに供養して弔った。
 だがそれからと云うものは、関東屋に次々と不幸な事が起こった。怨霊の祟りに違いないと毎日のように寺院参りして六人の冥福を祈ったのであるが、その弥忠次も、医者から見離される業病に掛かってしまった。
 いい男なのにもう一度元気になってもらいたいと、同業や身内の者達が集まって病魔退散の加持祈祷などをしたが効き目無く、関東屋は、衰退するのみだった。

 業病の弥忠次は、ふたご山(出雲崎町住吉町と岩船町にまたがる崖山)の中腹に小さな山荘を建て、其処に住み、かって活躍した海を眺め、六人の霊を追悼しながら一生を終えた。