猫叉(ねこまた)の話
 あれは、6月末の頃、道山の峠を越えて、後谷から鳥越(とりごえ)の方へ鰯売りに行った帰りのことだった。
日暮れ方になって後谷と道山の境にあたる臼巻(うすがまき)のあたりに来た。此処は沢が一番狭くなって山道の直ぐ側を谷川がゴウゴウと流れ、両側の杉林が覆い被さり、昼でも薄暗く、なんとなく気味の悪い所だった。
 なんとか此処も通り過ぎ鳰積場(におつみば)の橋の側まで来ると、橋の上に何やら黒い犬のようなものがうずくまっている。立ち止まって見ると、大きな黒猫が逃げようともせず、目を爛爛と輝かせてこちらを睨んでいて動かない。
 なんだ、野良猫くらいと持っていた杖を振り上げた途端、突然、猫は後ろ足二本で立ち上がり、飛び掛る気配を見せた。しかも長い尻尾の先が二叉で、高さは5尺くらいにも見えたからたまらない。
 「あっ、此れは噂に聞いた猫叉だ。」と思うと急に寒気がして、足がガタガタ振るえだした。その日の鰯が少し売れ残っていたのを思い出し、背中の籠を降ろして橋の猫を目がけて投げつけた。
 籠は転げて橋の下に落ちたが、その時猫はサーと身をかわして籠を追うように川淵へ飛んだ。この時ばかりは、ガクガクする足で夢中で橋を渡り、坂道を這い登った。幸い猫叉は追ってくる様子が無い。漸く峠の中ほどまで来てやっと落ち着いた。
 猫がこうろ(年をとる)すると、「猫叉」といって、尻尾も二又になり、なんにでも化けると云われる。後日、後谷の村の人に聞くと、この沢の奥に「蛇逃げの滝」があり、そのあたりに「猫叉神社」という祠もあると云うことであった。
 私の出遭ったのは、きっとその猫叉に違いない。今思い出しても背中がゾーッとする。
                                            (石井町 田口キク)より
大蛇の話
 おらたちは、毎年6月になると仲間を誘って、粽(ちまき)を結う「岩菅(いわすげ)」採りに、芝峠の下の沢まで行った。ある年のこと、だんだん奥の沢に入ると、崖に長い岩菅が、いっぺいあるんだが、夢中で採っているうちに滑って谷川に落ちそうになった。ちょうど崖の淵に人の腕くらいの曲がった木があったんで、やっとそれにつかまった。
 なんだか冷めてえし、すべっこいと思うたが。するとつかまった木がズルズルと上の方へあがるでねえか。あんま不思議なんでよく見ると、なんと大蛇の胴なかだったでねえか。
 いやーぁ、たまげたのなんの。真っ青になってテヲ離したんだんが、ドサーンと下の川原に落ちてしもうた。大蛇もたまげたもんか、そのまま上へズラズラ行って、命拾いしたてば。もうおっかのうて、せっかく採った菅なんかおっぱなして、やっとこさで川を渡り道までどんげにして逃げてきたかわからね。
 大蛇の頭がどんげえだとか、どのくれえ長いかったなど、とっても見るどころでなかったてば。おらあ、あれからもう懲り懲りして、誘ってもろうても岩菅採りにいかんかった。きっと、蛇逃げの沢の主に違いねえ
                             (道山 棚橋なか)より
河童の歳暮
 乙茂の宇奈具志神社の宮司、松永出雲家は、古い家柄であるが、河童に関わる話が語り継がれている。
何時の頃か、或る日の暮れ方、村の東を流れる島崎川で、松永出雲は馬を洗っていた。すると何かに驚いたらしく、馬は急に駆け上がって、一目散に家の馬屋に走りこんでしまった。
 不思議に思って馬屋に行って見ると、落ち着きが無く何かに怯えている様である。出雲は、まだ川で洗い終わっていなかったので、洗い直そうと、側の「はんぞう(大盥)」をおこすと、その下に、話に聞くとおりの姿・形をした河童が身を縮めていたではないか。
 河童は水中では何人力もの力を持っているが、陸へ上がると全く力を失ってしまうといわれ、お屁の力ほども無いので「屁の河童」「陸へ上がった河童」等と言われるくらい無力とされていた。
 河童は多分、川で馬の肛門に手をいれ「イシキ」を抜こうとしたので、馬が驚いて飛び上がり、河童はその尻尾につかまたまま馬屋まできてしまい、慌てて隠れたものであろう。
 さて、河童は平身低頭して、「これからは決して悪いことはしない、どうか命だけは助けてください。」と手をすって謝り、もし許して頂ければそのお礼として、毎年大晦日に鮭一匹を必ず届けますと誓った。
 出雲は河童が余りにも真剣に詫びるので可哀想になり、逃がしてやることにした。勿論鮭のお礼など信じもしなかったし、やがてすかっり忘れていた。
 ところがその年の大晦日の朝起きてみると、なんと入り口の大きな柱に生鮭が一匹ぶら下がっているではないか誰に聞いても分からない。さては河童が約束どおり届けてくれたのかとようやく思い出した。
 松永家では、こうして「河童の歳暮」が何年も続き、また乙茂の村では河童による子供の水死などは、全く後を絶ったとの事である。
                                      (乙茂 渡辺一三)より