●その他の伝説、伝承


神かくし

 昔は、ムラの子供が、神かくしに遭うと云う事があった。夕方まで遊びまわっている内に、何時の間にか見えなくなって何処を探しても分からない。親は勿論、近所の人まで心配していると、二、三日経ってひょっこり帰って来ることがあった。
 子供に聞くと、「赤い顔をした鼻の高い人に連れられてきた。」だけで、詳しいことはさっぱり分からない。これが「天狗の神かくし」などと云われている。
                                      (井鼻 阿部五郎)より
人買い船
 何時の頃か、「人買い船にさらわれてしまった兄を見つけ出すまでは、何年掛かっても諸国を探し回る」と書置きして、弟は旅に出た。ところがその兄が、或る日ひょっこり村に帰ってきた
 「悪者の手からやっと逃げることが出来た。」と云っただけで多くを語ろうとしなかったが、自分を探しに出た弟の安否を何時も案じていた。何年経っても旅へ出た弟からは何の音沙汰もなかった。
 諦めた両親と兄は、弟の冥福を祈って久田から乙茂に通ずる峠に一対の地蔵様を建てた。夏は菅笠・冬は頭巾や菰(こも)を被せたり、祝い日にご馳走を作った時には必ずお供えしたりした。
 赤坂街道は、昔から人の往来が激しく峠から見ると沖の二つ岩の向こうには、千石船の姿も時折見られた。なかには、人買い船も有ったかも知れない。
 村の人たちは、子供達に知らない人に声を掛けられても、それに騙されて付いて行ってはならない。人買い船に乗せられて帰る事が出来なくなる。と言い聞かせ夕方には外に出さぬ様に注意した
 この地蔵様は今も赤坂街道の頂上にあって土地の人たちは「代助地蔵」と云っている。久田で聞いた人買い船にまつわる話である。                 
                                   (井鼻 阿部五郎)より
往生鱈場
 西山町石地と勝見の境の沖合いに「往生鱈場」という漁場があって、昔はタラバガニもいたそうだ。手押し舟の頃は、そこまで行くにもなかなか容易ではなかった。一度天候が変わって大荒れにでもなろうものなら、さあ大変、まず陸へ帰れる見込みはなかったという。
 しかし大きな鱈が沢山採れ、よい値で売れるので、危険は十分承知で漁師達は、この漁場を狙ったものである。
この様に、予め遭難をも覚悟しなければならぬ漁場であったから、誰云うこともなく往生鱈場と名付けたと云われる
                                    (井鼻 阿部五郎)より
ボラの身投げ

 昔、海の魚の縁結びの神様が、ボラ(鯔)に向かって、オコゼのところへ嫁に行けと言われたそうである。しかし、ボラはオコゼのところへ嫁に行く位なら、身投げをして死んだ方がましだと云って、断わった。
 今でもボラが海面を飛び跳ねるのは「ボラの身投げ」と云う。ボラには、キミョという二世も三世も誓った恋仲の魚がいて、そのキミョがオコゼとの話を聞き、もしボラがオコゼのところへ嫁に行くことになれば、いっそのこと、サバの刺身を食べてぼらの皮を被り、死にたいといった話が伝えられている。
 昔は、キミョ縄(漁法)には、サバの身を掛けて釣ったり、ボラの皮をつけると、キミョがよく採れたそうである。11月12月の秋鯖漁には、「ナイシ」と云って、ボラの子を投げ網で採り鯖漁の餌にしたそうである。
                                    (尼瀬 鈴木豊吉)より