●動物にかかわるもの

狐に化かされた話
@此れは私の同級生の一人が語ってくれた話である。今から50年前のことである。この友人が同じ部落の親類の祝言に招かれ、ちょうど隣家の人も同席して随分とご馳走になり、お土産まで貰って夜遅く帰宅することになった。
 途中、橋を渡って隣の家の人と別れるまではよかったが、急に目がポカポカとおかしくなってきたので、よほど隣家に泊めてもらって朝帰りとも思ったが、いやたいしたことはあるまいと思って、自分の家を目指して歩き出した。
 その頃、雪がチラチラ降って雪明りで道も良く見えるので、どんどん家に向かって急いだ。するとどう間違ったものか山の火葬場の方へきてしまった。これはおかしいと驚いて、後へ戻ると今度は稲架木(はざぎ)を積んだ場所、また引き返すと、肥溜めの所など、どう廻っても家に帰ることが出来ない。仕方なく、さっきの祝言のあった家に帰ろうと思い橋の袂まで来ると、うっかり滑って転んでしまった。その時急に気が付いたようになり、見ると大事に持ってきたお土産の包みが無くなっている。
 「あっ、これは昔からこの辺に住んでいる野狐に化かされたのだ」と気付いたが後の祭り、それからは迷う事無く家に帰ったが、手ぶらなのが残念であった。
翌朝、橋の付近へ行って見ると雪の上に狐の足跡が一杯お土産の包みはどこにも見つからなかった。
                                    (乙茂  渡辺一三)より

A久田から村田へ通ずる「かこいの沢」には、昔から悪い狐がいて、通行人を化かした。あるときは若い女に化けて、祭り帰りの男を誘って森の奥へ連れ込み、散々たぶらかした上に、土産のご馳走をそっくり取り上げてしまった。
 また、ある日、魚売りの女が一杯入れた駕籠を背負ってこの道を通りかかった。すると藪の中から、何者か魚駕籠の上に飛び上がった。気丈な女だったので、
 「畜生、取れるものなら、取ってみやがれ。」と大声で怒鳴ると、駕籠から離れてガサガサと藪の中へ消えてしまった。これも狐の仕業に違いない
                                    (井鼻 阿部五郎)より

B獅子ヶ鼻の狐 
井鼻の獅子ヶ鼻の上の女郎山には、古狐がいて、色々な変化(へんげ)に姿を変えて通行人をたぶらかし、魚、油揚げ等を取られたと云う話は沢山聞いている。
 ある時、旅の行者が通りかかったので、若い綺麗な女になって化かそうとしたが、見破られ、逆に行者の法力によって塚の中に封じ込められてしまったと云う。
 狐に化かされ、肥溜めに浸かって「ああ、いい湯だ。」と言ったとか、馬糞が、おはぎ(かいもち)に見えて、「うまい、うまい。」と舌鼓を打ったと云う話。
 また山の黄蓮(おうれん)採りに行き、日暮れに家に帰ろうとすると、同じ道をグルグル廻っている。しまいに狐に化かされたと気付いてから冷静になり、漸く家に帰ることができたと云う話など、狐に化かされたという話は、明治末期まで数多く語り伝えられているが、筋としては似たものが多い。
                                    (井鼻 阿部五郎)より

狐の嫁入り
(狐火1)

 狐火を見るのは秋の曇った夕方が多い。村の子供達の遊び場であった「木取り場」で、日暮れまで遊びほうけていると向いの常楽寺境の峰から油平らのツルネあたりにかけて、薄暗闇の中に青白い火玉のようなものが、一つ、二つ、三つと消えたり点いたりしながら移動していく。
 初め子供達はおっかなびっくりしながら、眺めていたものだが、親達から、あれは狐の嫁入りの提灯だと聞かされ、あまり怖がらなくなり、時折この火を見ると「ああ、また狐の嫁入りか。」ただ不思議がって眺めていたものだ。
 年寄りに聞くと、あれは稲荷様のお使いの狐たちが、宝珠をくわえて走っているのだ、あの明るいのは、宝珠の光だと教えてくれた。また、雉ん鳥(きじんどり)が火玉になるとも聞かされた。いずれにしても、遥か彼方をポカポカ明滅しながら移動して、やがて消える怪火の正体は、果たしてなんであったろうか。
                                            (道山 遠藤辰治)より
(狐火2)
 秋になると、時々思い出すことである。今では中永線(国道352号線)は、すっかり整備され夜でも自動車の往来でやかましいくらいであるが、昭和の初期私がまだ8、9歳の頃は工事中で人通りも無く寂しかった。
 何時の日か時間もはっきり覚えていないが、とにかく日暮れ時で外はもう薄暗かった。私の家の2階からは、中永トンネル付近の山々がよく見えたので、ガラス戸に顔を押し付けて何とはなしに、だんだん暗くなっていく秋の山々を眺めていた。
 すると、その内に峰に青白い明かりが一つポツンと点いた。おゃ何だろうと思って見ていると、それが二つとなり、三つとなり、やがて五つくらいになったと思うと、今度はポツポツと減り、その内に皆消えて、後は黒い山並みばかり。
 不思議に思って母に尋ねると「狐火」だと教えてくれた。あの頃西山林道は「狐の嫁入り道」であったのであろうか。

 もう一つ「山谷の青狐」の話をしてみよう。
父から山谷の青狐という、尻尾の青い狐が住んでいると聞かされた。これは昭和24年頃実際に見た人の話である。
 日も時間も忘れたが、ともかく夜中のこと、小用に起き便所の窓から、ふと山谷の村の方を見ると出口の橋の辺りに提灯の灯りらしいものが見えた。今時分誰か山谷で急病人でもあって、お医者さんを迎えに行くのかと思って見て居ると、その明かりが忽ち二つになった。やはり医者迎えに一人でなく二人で行くのかなと思い見て居ると、今度は三つに増えた。あまり不思議なので、尚も眺めていると、その明かりは山谷の出口まで三つであったが、やがて二つになり、中永線通りを山の方へ進み松本まで行かないうちに、ポカッと皆消えてしまった。
 翌朝聞くと、その夜山谷では病人など無かったという。やっぱり青狐の火玉だったかもしれない。
                                                   (川西 磯田トミエ)より
イタチの砂まき
 夜道を歩いていると、急に上からパラパラと山の土が撒かれるように落ちてくることがある。これはイタチの仕業で「イタチの砂まき」と云われている。
 イタチも歳を取ると化けるという。豆の葉を被って、クルッとひっくり返ると、ザンギリ頭の子供になって、人の行く道を先になって歩くといわれた。
 また夕方山道を通ると、何処かでザック、ザックと丁度小豆をとぐ(磨ぐ)ような音が聞えることがある。これは、イタチが尻尾で土を掻き出す音だといわれ、これをイタチの「アズキトギ」とも言っている。
                                            (道山 遠藤イヤ)より
イタチのいたずら
 昔は、乙茂の金谷川内や上中条のいぶん谷には魔物がいて、日暮れや夜道をする人の後先になって歩き出す。こうなると、身体に寒気がして気味悪いこと言いようがなかった。
 こんな時、大声で「畜生、さっさと失っしやがれ。」「失っしやがらねと、たた殺すど。」などと怒鳴るとガサガサと藪の中に入る音がして、とたんに魔物が離れてしまう。これは、こうしたイタチの仕業であったと云われる。
                                             (井鼻 阿部五郎)より