天狗のゆさぶり
 山で炭焼き釜の口焚き(くちだき)をしても、中々炭材に燃えつかない、仕方なく泊る覚悟で焚くことがある。
すると夜中に風も吹かないのに、ユサユサと小屋が揺さぶられることがある。
 これは「天狗のゆさぶり」といわれるもので、このとき「たれが小屋をゆさぶるか。」「天狗様の仕業か。」などと騒ぎ立てると、かえって山へ投げられることがあるという。
                                      (道山 仲野清吉)より
天狗の木切り
 釜の都合で炭小屋に泊ることがある。
夜中に、近くで大木に斧を振って、カーン、カーンと木を切る音がして、やがてメリメリドサッと大木の倒れる音がする。しかしこんなときには外へ出てはならない。
 不思議に思って、翌朝、音のした方へ行って見ると木など、いっこう倒れていない。これは、天狗の木切りだといわれている。
                                      (道山 仲野清吉)より
丑の刻参り
 恨みを持った女が、丑の刻、白い着物で洗い髪、燃えるローソク鉢巻に挿し、剃刀を口にくわえて石段を登り、神社の大木に藁人形を磔にし、五寸釘を打ちつけ相手を呪詛するなど、昔の怪談によく出てくる。
 丑の刻というと午前2時である。いわゆる草木も眠るこの時刻に、身の毛もよだつ姿で呪いの祈願するとは、正に足のある幽霊と云っても良いだろう。それなりの理由が有るのだろうが余程の執念であったに相違ない。
 【北越史料出雲崎】に明治30年頃、海岸の石井神社の社木に五寸釘を打つ半夜通いの女が有った事が記されている。また、或る年寄りの木挽きが語るには、社木などを前挽き(大鋸)で挽き分けていると、時たま五寸釘が錆び残っていて、鋸の刃を欠いたという。多分呪いの釘であろう。
 昔は、この地方にも、やはりこのようなことがあったと推測される。それにしても人の怨念とは恐ろしいものである。

龍宮城の真上
 昔から出雲崎の沖、鱈場の海底には、龍宮城があるといわれている。そこには鯛やヒラメ、その他沢山の魚がいるが、延縄(はえなわ)や刺し網をすることは堅く禁じられていた。
 そこで漁をすると、いつのまにか船のともに白い長い髭を生やした老人が幻のように座り、龍宮城の番人ではないかといわれていた。
 或るとき、貧しい漁師親子が禁を破ってそこで夢中になって漁をしていると、話の如く幻の老人が船の艫に現れたではないか。驚いた二人は恐ろしくなって、早々に逃げ帰り、船が漸く陸近くまで来る頃、急にゴーと風音と共に忽ち物凄い大荒れになり親子はもう少しで突風に掴まって遭難するところであった。
 沖へ出れば漁が有る、ただそれだけに引かされて、船は知らず知らずに沖へ出てしまうが一旦突風に遭うと、小さい船などひとたまりもなかった。
 櫓や櫂を使い手押しの時代は、やたらと船の難破があり、犠牲者が出たものである。この話も出漁に対する一つの戒めであろう。                  (井鼻 阿部五郎)より