千石船や北前船の寄港や
いわし漁・石油採掘等で賑わいを見せた一番華やかなりし頃の写真です

写真提供) さざなみ会・勝見尼瀬会 小林治男氏
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●徳川時代、千石船を誘導
(水先案内)する磯見舟

尼瀬・岩船町方面
岩礁が多くて大きな船が入れない為

●徳川時代〜明治時代の町並み
海上に櫓を立て石油を採掘。
今の天領の里時代館のすぐ北側

関連史料)出雲崎編年史H
●大正時代の出雲崎海岸
(家座敷の下まで波打ち際が迫る)
「出棚座敷」とも云う。
岩船町方面より下町を望む
●大正時代の出雲崎町の
石屋根造りの家並み

弥彦山を望む(妻入りの街並みが細長く連なる北国街道玄関口

(関連史料)出雲崎編年史G
●尼瀬(勝見)蛇崩れの松の雄姿
(沖からの目印になる)
松村石油製油所の石油タンク
関連史料)出雲崎編年史H〜I
●尼瀬蛇崩れ峠より尼瀬一区を望む
(煙突は製油所跡)
手前は冬に舟を「ノマ」で囲い春待つ。
舟の右側は小学校のグラウンド)
(関連史料)
出雲崎編年史H〜I