良寛の生死観と書について
●二松学舎大学 文学部教授 源川彦峰先生の講演会

 原宿表参道の欅並木の紅葉が冬空に映え、道行く人々の背景を温もりの色鮮やかに染めている
11月24日、表参道ネスパス新潟館3階に於いて東京良寛会主催による講演会が開催されました。

 講師に、二松学舎大学文学部教授の源川彦峰先生をお招きし、「良寛の生死観と書について」と題
しての講演がありました。
 先生は書道史、文化史の研究者として、また書家として各方面で幅広くご活躍されておられます。

 午後1時30分から始まった広い会場は聴講者で一杯になり真剣に拝聴しております。

 ●良寛の諸仏礼賛と生死観

与板町香積山徳昌寺で文政11年の三条大地震で亡くなった人達の追善供養の大法要が開催された。
良寛は直接参加しなかったが後で見聞して「恭しく徳昌精舎に於いて無縁供養を行ぜしを聴き遥かに
此の寄有り」の2首を作っている。詩の冒頭では「この日行き来する人達で町がごった返し蟻の子の様
であった。
僧侶達も大勢並んで法会の式場に連なった。」と詠じている。
浄辨供養諸僧衆 (浄財を投じて供養する)
今日好日好因縁
無礙法力渡苦界
多少亡霊生諸天

妨げるものの無い仏法の功徳の力が苦界に沈んでいる者
を救って、多くの亡き人達の魂が諸々の天界に生まれ変わ
ったことを礼賛している。
良寛は人の死について冷静に見ており、僧侶と言う観点で
その亡霊に対して鎮魂の意味合いから作っているのである
が、いざ自分の行く末の事になると、
我生何処来 (我が生 何処より来る)
去而何処之 (去りて 何処にかゆく)
獨坐蓬窓下 (独座す 蓬窓の下)
兀兀靜尋思 (兀兀コツコツと 静かに尋思す)
尋能知其終 (尋思するも始めを 知らず)
焉能知其終 (焉イズクンぞ 能く其の終わりを知らん)

良寛は僧侶でありながら、「この生命は一体何処から来た
ので有ろう、また、去って何処に行くのであろう。」と苦悶す
る。
過去未来ばかりか現在の生命もまたわからない者である、
というのである。
およそ移り変わるものは、全て「空」である。空の中に存在し
ているのである。
縁に随って逆らわずに、ゆったりと生きて行くしかない、と言
う。
 その後、良寛は病を患うことになるが、

一身寥寥耽枕衾 (一身寥寥 枕衾チンキンに 耽る)
夢魂幾回逐勝游 (夢魂幾回か 良い景色を逐う)
今朝病起江上立 (今朝病より起きて江上に立てば)
無限桃花逐水流 (無限の桃花 水を逐って流る)

この身は寂しく長患いの床に伏せていた時の心境を表しているときの詩である。

脳裏を去来することと言ったら、景勝の地を何回となく巡っていたことばかりを夢に見るのである。

今朝やっと病の床から起き上がって川の辺りの(信濃川の支流の土手沿い)村を訪ねると桃の花が
散って水に流れてゆく。
         
  其の他、良寛の漢詩3首ほどの講演があり、いよいよ先生の揮毫が始まる。

 二松学舎大学書道部の生徒さんがアシスタントになり書道
 用具が揃えられ、聴講者がそれぞれ思い思いの文字をメモ
 用紙に書いて提出したものを揮毫してもらいました。

 静まり返った雰囲気の中、聴講者が書家を囲み固唾を呑ん
 で見つめています





 「喜、 一期一会、 慈愛     、 情、 愛、 慶」等々……多く の名言・名句が、書家の筆捌きの中から次々と色紙や画仙紙
 等に見事に再現揮毫され輝いているようでした。

    
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