良寛生誕250年記念「遺墨展」 BGM版へ
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錦秋に薫る”慈愛の華”

 爽やかな錦秋の季節を飾るにふさわしい「良寛生誕250年記念遺墨展」が
平成20年11月1日(土)〜12日(水)
新宿住友ビル・住友ホールにて
盛大に開催されました。

 期間中、首都圏近郊はもとより故郷出雲崎、北海道、群馬、新潟、佐渡、上越、長野、和歌山、広島、神戸、奈良、京都、四国、長崎、鹿児島、他の各県市から、実に四千人余りの老若男女の良寛ファンの方々が鑑賞されました。

●テレビ・新聞・インターネットで開催を知りました、眞筆に遭えるなんて滅多に無い事です感動しました。
●来年は友達と五合庵に行きたいと思っていますが、行き方を知りたいのです。
●書物では見ていますが、やはり本物はいいですね!良寛さんは素敵な人ですね。
●雄大な文字を見ていると気持がおおらかになります。
●空間に自由に書かれた文字が、躍動しているようで朗らかになります。
●良寛の書(半紙)を先祖から譲り受けているが、真偽を鑑定する方法を知りたいのですが?
●説明文の文字が小さすぎて読みにくい、次の機会には一工夫でよく見えるように、お願いします。
●機会があったら又「良寛展」を開催して下さい御願いします、待っています。
●芳名簿に記帳しましたが次回開催の通知を頂けるのでしょうか?…、連絡を頂けると嬉しくなります!
●学芸員や東京出雲崎会の方(内藤氏)の解りやすくてユーモラスな説明で、大変良かったです。
 等々色々な御感想や温かい御意見を戴きました。

※良寛遺墨展の開催にあたり、株式会社住友不動産様の絶大なるご協力・ご支援を頂き、誠に有難う御座いました。 また東京出雲崎会の方々の積極的なご奉仕を頂きましたことを、ご報告致します。誠に有難う御座いました。
●ご招待客による開催セレモニーテープカット ●学芸員による説明風景
●パンフレットを見ながらの、チョット休憩 ●拡大鏡で名文名筆の鑑賞!
●在りし日の良寛を想像しつつ彫刻像にウットリ! ●良寛さん生涯の記録映像の鑑賞
●良寛遺品「錫杖」 振って生ずる音に特別な呪力を認め、その力によって衆生の成仏が願われる ●良寛遺品「水指」 出雲崎中山の西照坊に仮住まいしていた頃のもの、炊事、洗濯、洗面など多用途に使っていたらしい
●良寛遺品「硯」古赤間  慈愛のこもった有名作品が次々と誕生! ●良寛読書像   木造彫刻作品(茂木彫刻家)
良寛さんの数多い逸話の一つをご紹介します。
【天上大風】
 春の日、燕町を托鉢のため歩いていた良寛さんは、堤防の近くまで来たとき、大勢の子供達が堤防の上で凧を上げていた。大空に凧が乱舞する様子を見上げていた時、一人の子供が良寛さんの下に走り寄り紙を差し出して良寛さんに字を書いてほしいと頼んだ。
 子供達の話は何時も快く聞いてくれる良寛さんは何に用いるのかと尋ねた。子供は凧にしたいから「天上大風」と書いてくれといった。良寛は直ぐに書いて与えたという。 
 またある説では、子供の凧上げを手伝っていた良寛さんは、何も絵や文字が書いてない白紙の凧だったので気の毒に思い、書いてやった。
 その他の説では、大人がどんなに頼んでも中々字を書いてくれない良寛さんだったので、親が子供に言い聞かせて、子供をだしに使ったとか、色々な説がある。

 天上大風と書いてある遺墨には凧の骨を外した後や糸を通した後が見当たらない、骨が裏にあれば、書いた文字がその部分で多少太くなるのだが、それが無いし文字の歪みも無い。
 大人が子供を使って書いてもらったのだろうか?それにしても伸び伸びとした字は風が大空にうねる様に爽やかに感じられる。


【心月輪】
 解良家に伝わる丸い板の「心月輪」は、大きな鍋蓋を作っていた桶屋が、取っ手の溝を掘るのに、ついうっかりして裂け目を入れてしまった。
 その気落ちしている桶屋が可哀想と哀れんで良寛が筆を揮って板を生かしてやった。溝の掘り方から見て桶屋は少年だったと云われている。 文字の意味は、お月様のように丸い心を持つことが大切であると教えている。


【いろは】  【一二三】

 ある飴屋の主人に、貴方の字は難しいので、簡単には読めないから、誰にでも読める字を書いて欲しいと、頼まれて書いたものだといわれている
良 寛 さ ん の 生 涯 (あ ら ま し)
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誕生 幼名…栄蔵(えいぞう) 弟3人 妹3人の長男
父、以南  石井神社の神職を継ぐ
このころから寺子屋で学ぶ
大森子陽の塾に入門
このころ元服 文孝(ふみたか)と名乗る
子陽塾を辞める。名主見習役になる。 光照寺の破了和尚に従い剃髪
円通寺の国仙和尚に従い、得度(とくど)
母、「ひで」死去
国仙和尚、良寛に印可(いんか)の偈(げ)「悟りを証明する漢詩」を与える
国仙和尚死去  大森子陽死去  このころ四国行脚
父、以南 京都桂川にて入水自殺
このころ越後に帰国  郷本の空庵住まい
国上の五合庵に住む
五合庵から乙子神社草庵に定住
長岡藩主、牧野忠精(ただきよ)と会う
島崎の木村家邸内の庵室に移住
貞心尼 秋に良寛を訪問する
7月から病気 下痢、腹痛続く
正月6日、良寛死去  8日、葬儀