出雲崎代官所跡(羽黒町石地屋(高島家)脇) |
ここは戦国の上杉氏時代から陣屋が置かれた場所で、名主、橘屋(良寛さんの生家)に近く、秋田屋敷と呼ばれて大きな役割を果たしていた。
出雲崎は元和二年(1616年)徳川幕府の天領となり、町の中央に位置するこの場所が江戸時代最初の代官所となった。佐渡の金銀の荷揚げ地であり、北前船の寄港地、北国街道の宿場町として物資の交流も盛んであった。その後代官所は町並みの中では手狭なことから、寛永二年(1625年)に尼瀬稲荷町に移転した後、何回か再移転し明治を迎えている。
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石井神社と橘屋(良寛の生家)(石井町、石井神社石段下) |
神代の昔、各地を平治した大国主命が、この地に来られ佐渡ヶ島を平治しようとしたが、海を渡る舟が無い。そこで、石の井戸の水を汲んで撒くと一夜にして12株の大樹が茂った。その霊樹で舟を造り海を渡って平治したと伝えられており、その時、大小の魚が舟を守り助けたので12株の大樹の辺り(現在の井之鼻)に宮を造り海上守護の大神を祀った。
和銅四年に現在の地、石井町に移されて以降、神事は名主、橘屋山本家が司っていた。毎年6月17、18日の両日に行われている石井神社の大祭は元禄三年社領米をもとに橘屋山本家によって始められ、約300年続いている。神輿渡御や100軒近くの露店で、今も尚、賑わいを見せている。
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