資料提供:出雲崎町観光協会
おけさハンヤ節の影響をうく

鎌倉時代(今から約800年位前)所謂、民謡と言われるような形は殆んど無く、念仏踊りが寺の境内から生まれかかっていた程度の頃、戦捷の踊りを繰り返している中に、そのリーダである音羽御前のおけさ姿をそのまま気安い気持ちでおけさおどりと呼ぶようになった。その繰り返しの中におけさ唄といわれ、おけさ節といわれる唄が生まれいつかそれが定着していったものであろう。
かくして音羽御前により生まれたおけさは、この土地の住民と共に素朴な何百年かが過ぎ、江戸時代に入り海運の交易が開けるに及び各地から機帆船が物資を運んできたと同時に唄も移入されたものである。
その代表的なものに九州のハンヤ節がある。そのハンヤ節がおけさとミックセされ改良を加えられて現在の出雲崎おけさの元唄が出来たもので、出雲崎おけさの大きな転期と云うべきであろう。起源にも述べた如く、戦捷を祝った唄として生まれたおけさだけあって、荒海の雄叫びとも聴こえる勇壮さを特長とし、張り切った三味の調子と相まって心も勇み立つ名調子である。

出雲崎おけさの特長

観光出雲崎に重要な役割をはたしつつある出雲崎おけさの見所、聞き所、その特長、特質を考えてみると出雲崎お
けさの特長は、大まかに見て次の3点を上げる事が出来る。
その(1) 次の唄をトップとする舟人(ふなびと)の情歌、浜の恋唄など、一連の唄があくまでもおけさの基本である
   ということである。  「おけさおどりと磯うつ波は いつも心がいそいそと」
その(2) はやし唄である。九州から来たはやし唄は次の一章しか見当たらない。
  「段々畑のさや豆がひとさや走れば皆はしる わたしゃお前さんについて走る」
      ところが出雲崎で創作されたと思われるはやし唄は80章はある。佐渡おけさには無いもので、出雲崎おけ
      さ独特のものとして、一晩中唄って、踊っても尽きない魅力に溢れたはやし唄である
その(3) 良寛おけさである。機知とユーモアに富んだ良寛作のおけさ唄もさることながら、聖僧良寛の親しみ深い
      人柄を分かりやすく面白く民謡の中に再現してみせた逸品と云うべきおけさ唄である。
         「今じゃ天下の良寛さまも 昔しゃ行脚の 草枕」
       おらが良寛さんを、おけさの中に見事に生かしております。
出雲崎おけさ唄